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2010年2月 アーカイブ

台北市は260万人以上が住む大都市です。亜熱帯気候で冬でも気温は13℃以上、年間降水量は2,300㎜以上あります。

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↑ガジュマルの街路樹(台湾名:榕樹 Ficus microcarpa Linn.)樹齢100年以上の老樹もたくさんあるそうです。

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↑フトモモ科カユプテ属の常緑高木の街路樹。 台湾名:白千層(Melaleuca leucadendra Linn.)。樹皮は白く薄く剥がれ、枝や葉からは、アロマ界では有名なカユプテ油が採れます。

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↑巨大緑道のクスノキ林。

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↑↓本年(2010年)の秋には、国際花博が開催されます。市内の各所には壁面緑化が施され、歓迎ムードを演出しております。

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↑建設工事現場仮囲いの壁面緑化

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↑台湾のホワイトハウス「台湾総統府」。森山松之助の設計で日本統治時代に建設され台湾総督府として使用されました。1898年、児玉源太郎総督に台湾総督府民政局長として抜擢された後藤新平は、植民地経営や都市計画に尽力し台湾の近代化に数多くの業績を上げたそうです。ここ台湾での経験が、後の東京震災復興計画に繋がっていったのですね。ここからすぐの場所にある二二八記念公園は、日本の日比谷公園に雰囲気が似ております。

短い滞在でしたが、現地関係者の方や同行させて頂いた樹木医の皆様のおかげで充実したものになりました。「臭豆腐」の匂いが懐かしくなった頃、必ず再訪したいと思います。(了)

中華民国99年2月3日、台北に戻りました。今回のボランティア業務は関係先の関心も高く、また国内のメディアでも多数取り上げられました。

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↑阿里山櫻の所管官庁である行政院農業委員会林務局(日本では林野庁に相当)で行った意見交換会

↓報道された新聞記事。これ以外にもたくさんあり、参加者全員本当に驚いておりました。

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↑台北市内の公園、街路樹、街路灯を管理する台北市政府工務局公園路燈工程管理局での意見交換会。

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議題となった街路樹についての問題は、日本とまったく一緒でした。樹種は違いますが日本よりも生長は早いと思いますので、管理はより大変かもしれません。

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司馬遼太郎は「街道をゆく 台湾紀行」の冒頭、国家とは何かを考える上で台湾ほど魅力的な一典型はないと書いております。過去に日本の統治を受けたにもかかわらず、これほど親日的な国を私は知りません。短期間の滞在でお役に立てたかどうか分かりませんが、劉先生はじめ関係者の皆様には本当に歓待して頂いた上、大変お世話になりました。(つづく)

 

 

 

 

 

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中華民国99年2月3日、何とか予定していた業務を終え、どうしても行きたかった巨木群棧道(トレイル)に走りました。主役は紅檜(別名タイワンヒノキ、Chamaecyparis formosensis Matsum.台湾固有種)です。現在でも高級木材として有名ですが、日本統治時代は、国内の大きい鳥居のほとんどはこのあたりで伐採された紅檜だったとのことです。現在は、運よく残った約30本を巨木群棧道沿いに見ることができます。

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↑『三代木』 孫が朽ち果てた親と祖父を基礎にして成長しています

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↑『阿里山香林新木』 樹高45m 幹周12.3m 推定樹齢2300年

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↑『千歳檜』 樹高35m 幹周11m 推定樹齢2000年 木の形が両手を挙げて万歳をしたときに似ているため、日本統治時代は『万歳檜』と呼ばれていたそうです。

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↑巨木群棧道沿いにある『第二十八号巨木』。ちなみに棧道沿いの巨木は、樹高20~45m 幹周5~13m 推定樹齢800~2000年で、全て紅檜でした。

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↑阿里山のシンボル『阿里山神木』・・・の残骸。1953年と56年に2度の落雷にあい、その後、線路側に裂けて倒木したため断腸の思いで1998年に伐採されました。樹高56m 幹周18m 推定樹齢3000年

↓ちなみに、生前のお姿です。

IMG_2802.JPG(小田樹木医撮影)

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今回の主たる目的だった阿里山での業務は終了しましたが、まだ台北での仕事が残っております。早朝に祝山(2,489m)に登り、日本統治時代は日本一高かった旧称:新高山(現:玉山 3,952m)からの御来光を拝み、残りの旅の無事を祈念しました。(つづく)

中華民国99年2月2日、いよいよ処置業務開始です。メインは土壌改良と不定根誘導とし、時間の制約がある中で担当毎に分かれた分業制となりました。とても4~50年生とは思えないような大きさの上、衰弱していましたので作業は慎重に行います。

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↑試坑断面を掘削し土壌調査も行います。現地は造成地であり、日本統治時代に宿泊施設があった場所であることが判明しました。

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↑不定根誘導の前処理を行っています。

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↑日本から持ち込んだ最終兵器「エアスコップ」で、なるべく根系を痛めないように土壌改良材を混合します。

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↑一通りの処置が完了した対象木。根元周辺への立入防止用竹垣も設置しました。数ヵ月後に今回の処置の検証も行う予定です。

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↑テングス病の処理方法について説明する有田樹木医。実際に管理されている林務局さんの方でも剪定処理は行っているそうです。

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↑作業を終えた樹木医と中興大学劉研究室の大学院生で記念撮影。

余談ですが、周辺の景色がとても標高2,000m付近には見えないと思います。台湾は熱帯~亜熱帯地域に位置しているため、海岸に近い平野部にはヤシやバナナが生い茂り、標高が上がるにつれ温帯の植生になります。(つづく)

中華民国99年2月(西暦2010年2月)、ひょんなことから中興大学の劉先生のお招きで、先輩樹木医7名と共に台湾国阿里山の桜の調査及び樹勢回復処置業務に行ってまいりました。ちなみにボランティアです。

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台湾新幹線の嘉義駅で地元新聞社の取材を受ける笠松団長と劉先生

御存じの方も多いと思いますが、阿里山は台湾中部の嘉義県にあります。中央山系の一部で標高2,000m付近一帯の阿里山国家風景区として指定された、日本の国立公園の様な場所です。日本統治時代に材木を搬出するため登山鉄道がひかれ(阿里山森林鉄路・・・現在は台湾大地震時の土砂崩れにより不通状態)、周辺にサクラが植えられました。現在は台湾一有名な観櫻場所となっており、シーズンには約10万人が訪れるとのことです。

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種類はソメイヨシノとカンヒザクラが多く、他にヤマザクラ、八重ザクラもあり、全体で約5,000本とのこと。全体的にテングス病が蔓延し材質腐朽の進行も著しく、外観調査ではほとんどが5段階中の4(生育状態が極めて劣悪)でした。数年前に行われた台湾在住の楊樹木医による懸命な治療により、何とか立っているといった状況です。

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歴代の台湾総統や日本の皇室も宿泊したという「阿里山賓館」のロビーで、樹勢回復処置方法について熱く議論するメンバー。

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雲海は遥か下。初日から高山病(頭痛)に悩まされながら、阿里山の夜は更けていきました。(つづく)

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 今朝2時起きでした。立春の今日は除雪指示が出るのを見越してのことです。

昨夜は軍歌のCDを聞いて士気を高めておきました。以前にも言いましたが軍歌は目的とおり高揚感を煽ります。真っ暗の中新雪を蹴散らすのは進軍(経験はないのですが)の勇ましさと似ていると思います。遠くの他の除雪作業機の回転灯が見えたら友軍と映り連帯感を感じます。

作業中はいろんなことを考えます。

昔はもっと積雪が多かったなー、安治川親方の今後はどうなるんだろう、小沢氏の不起訴を世論はどう評価するんだろう?検察への国民の信頼は?政権政党の今後の支持の動向は?この雪で今日の現場をどうする?景気が悪い中どう仕事を確保していくのか・・・時間があっという間に過ぎていきます。

交代要員と替り、遅めの朝食のあとの仮眠はとても快適です。
3時になりました、では出陣じゃなく出動!

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